【説1】 地形の飛び出している部分を「崎=サキ」といい、長い舌状の突端(長崎神社のあたり)が長崎といわ
れたとする説。
【説2】 鎌倉時代に北条氏の家臣で内官領の長崎高資(ながさきたかすけ)の領地だったことから、この地が長
崎といわれたとする説。
「東京府豊島郡長崎村 豊多摩郡落合村 1925(大正14)年6月1日発行」
長崎町の区域は現在の
要町1~3丁目・千川1~2丁目・高松1~3丁目・千早1~4丁目・長崎1~6丁目・南長崎1~6丁目
西池袋4丁目・目白4~5丁目 です。
明治11年の御縁講の名簿より、
田島46、荒井20、足立19、秋元17、鴨下・本橋10、岩崎・大野・清水・篠9(以下略)総数239。
長崎神社境内の日露戦役記念碑人名より、田島22、秋元8、岩崎4、足立・荒井・篠3(以下略)総数60。